43歳にして兄弟が3人いることを知る③父に会う編

43歳にして兄弟がいることを知る① 0歳からあったことのない父と母が再会すると突然の連絡。兄弟もいるとか・・・第一話

43歳にして兄弟がいることを知る② 父と母が再会。いったいどんな人なのか、目的は?第二話

 

生まれて初めて、父に会う日の当日。

 

思いのほかドキドキもしないし、普通に仕事が忙しかった。
余計なことを考えず、普通に過ごせてよかったのかもしれない。出掛けには、バタバタしたし、遅刻するぅ――――!といつも通り。

 

待ち合わせの店は、父の提案で決まった。本心、私が決めたかった・・・。選んだ店の雰囲気や格によって、絶望したくなかったのもあるし、せっかくなら美味しいものが食べたかったのだ。母にリクエストは「肉」、瀬理奈でしゃぶしゃぶとかでいいよ。と伝えておいた。

結局、店は表参道、父の行きつけの店のようで、母も以前連れて行ってもらったところと同じだと言っていたので、まぁ、慣れ親しんだ場所が良いのだろうと納得。

 

お店についたそこで、待っていたその人は、写真とは全く違い、穏やかそうな紳士。なぜあんな写真を撮ったのか、あれでいいとなったのか、そっちがびっくりする。位には良い方に別人だった。少しきょとんとした。

私の面影はない。似ていない。

「こんばんは、はじめまして」

とっさに出た言葉だったけれど、瞬時に後悔した。

後悔して脳で繰り返したせいか、なぜかもう一度発してしまう「どうも、はじめまして、よろしく」

「はじめまして」という言葉が、嫌みに聞こえないか、酷いのではないか、頭の中をぐるぐるしたけれど、私にとっては本当に「はじめまして」だったのだから仕方ない。正解で無かっただろうと思う。

 

顔をまじまじと見つめた。
全く覚えがなかった。

会うまでは、もしかしたら会った瞬間にわかるんじゃないか?とかDNAレベルで血が騒ぎだしちゃうかも?涙があふれる?感動するのか?何か感じるのではないかと期待もあったのは確か。が、そんなドラマみたいなことは全くない。

 

ビックリするほど初対面バリバリ。知らない人だ。涙があふれるわけもない。人のDNAがなせる技など、そんなものなのだな。がっかりだ(笑)

 

そんな時、父から「すまないね」というような「ごめんね」というような一言が向けられた。

やはり緊張していたのだと思う、とっさに私は「わざわざ来てもらってすまないね」と受け取り、

「え?何が?ごめんねとか、そういうんじゃないし」

と、これまた塩対応。

きっと違う意味の「すまないね」だったと思う。今更だ。本人悪気が無いから困る、声になった瞬間、ああ、まずい!と思うのに、もう遅い。いい年こいて、なんですその感じの悪さ、と怒られても無理もない。そんな失言が二回も続いたこともあって、我ながらすごく気を使って話していた気がする。

 

私の小さいころの写真を一緒に眺めたり、おじいちゃんおばあちゃんの話をしたりするが一緒の思い出があるわけでもないのでそれほど盛り上がらず。なんというか、久しぶりに顔を合わせた遠い親戚のような、不思議な時間が過ぎていく。

話してみれば、悪い人ではなさそう。多少大げさなところはあるけれど、いい人のようで安心。兄弟の現在の様子や、父の今の仕事、そんな他愛もない話をしながら、ご飯を食べる。

 

会う前に思っていた疑問をぶつけてみた。
「母にとって苦労させられた人であるのに、なぜ頻繁に会うのか?」

父は、心苦しくないのか。

母曰く「暇だから」らしい。別においしいもの食べさせてくれるし、暇だしいいのだと言われれば、別に構わない。「もう昔のことだしね」という母の発言もわからないくない。

 

ただ、この日一番にイラっとした。母の「もう昔のこと」という発言に一番に、「そう、もう昔のこと」と相槌をうった父だ。流石にイラっとして、

「それ、貴方が行っていい言葉じゃない」

と、つい、強く言い返した。

離婚の理由は父のお金の問題で、それにより養育費も慰謝料も一円も貰わずに私を一人で育てた母が、昔話と笑って話せることはとても素敵なことだと思う。ただ、それに父は乗ってはいけないでしょ!と。私が怒っていい理屈もないが、つい。

 

だが、ここでまた母が爆弾発言
「嫌いで別れたわけじゃないしね」
ほんとこの人の発言にはびっくりさせられる。なんだそれw

金銭の問題で別れたが、それは私を育てるためには必要でそうしたことで、私がいなければ二人で乗り越えたかもしれない。という事らしい。長年親子をやっているから、この人のそういう浅はかな発言に、なんら深い意味はなく軽くいってしまっている事には違いないのだが、取りようによっては大問題発言である。

こういう人を傷つける発言を、悪気なく本気で言ってしまうところが、ああ、血筋だなぁと自分の日頃を反省させられる。

 

父はその後、アクセサリーとそれなりのお小遣いをくれた。
お腹がいっぱいになり、それなりにアルコールも楽しみ、解散。

帰りは、母と二人でタクシーに乗った。
「どうだった?」
「感動しないものだね、ていうか、だれ?って感じだった」
「そんなもんね」
「景気よさそうだし、悪い人じゃなさそうだし、まぁ良かったよ」
「兄弟と会いたい?」
「別に・・・。さらに他人だもんね」

 

母からしてみれば、一人っ子の私に兄弟がいて、何らかの想いが共有できるのでは?と思ったようだった。母は三姉妹で、なんだかんだ言っても姉妹がいて良かったと思っているようなので、そういう想いを私にも、と思ったのだろう。

一緒に過ごしていない、ただ血がつながっているという他人が、会ってすぐ兄弟になれるわけがないので、それは違うと思っている。

 

以降、私は父には会っていないし兄弟とも会っていない。
今のところ予定もない。

人生半分くらい過ぎたところで、父が現れ、兄弟がいることが判明した。
それはとてつもなく突飛なことのようで、日常にハマってしまえば、それなりにいろんな理由と理屈があるから、普通に消化されてしまう出来事だった。去年の私にとっては一大事件だったのに、今年の私にはもう旬を過ぎたニュースネタのようなものになっている。

 

日常に溶け込んでしまった事件は、もう特別なことではなくなり、興味も薄れる。という事かもしれない。長々と、失礼いたしました。

最新情報をチェックしよう!