きっかけは、ちょっとした雑談でした。
定期的にお手伝いに入っている、ある老舗料亭でのこと。毎月のミーティングは、もちろん本題があって集まるのですが、その合間に、ふとした拍子で昔のお話が出てくるんです。「あのころはこうだった」「先代がよくこんなことを言っていてね」── 打ち合わせの本筋からは少し外れた、そんな何気ない思い出話。けれどそれが、いつもとても豊かで、聞いているこちらの手が止まってしまうほどでした。
そういうお話は、その場にいた人たちのあいだでは当たり前に共有されていて、わざわざ書き留めるものでもない、という空気があります。でも、外から来た私のような立場の者には、一つひとつが新鮮で、もったいないなあ、と思っていました。
ちょうどそのころ、ホームページの「歴史」のページに、思っていたよりも多くの方が訪れてくださっていることもわかってきました。お店の料理や雰囲気だけでなく、その背景にある歩みそのものに、関心を持ってくださる方がいる。だったら、いま社内でだけ語られている話を、もう少し深いところまで掘り下げて、訪れてくださる皆さんにもお伝えできたらいいのではないか。── そんなふうに、どちらからともなく、自然と話が始まっていきました。
蔵や倉庫から、少しずつ
まず取りかかったのは、いま残っているものを集めることでした。
蔵や倉庫をあたってみると、出てくるものです。額に入ったまま長く眠っていた古いパネルの写真。何かの折にまとめられたらしい、20年ほど前の資料。当時はきっと大切にされていたのでしょうが、いつのまにか奥のほうにしまわれて、誰も手に取らなくなっていたものたち。
それらを一つずつ確かめながら、デジタル化していきます。写真は色あせていたり、資料は一部が欠けていたりするので、足りないところを別の記録で補ったり、年代を一つひとつ照らし合わせたり。そうやって、バラバラだった断片が少しずつつながって、空いていた年月が埋まっていく。地味な作業の連続ですが、昨日まで見えていなかった一年が、今日ふいに姿を現す瞬間があって、これがなかなかやめられない手応えなのです。
そしてもう一つ、何より大きかったのが、長く勤めてこられた方々から伺ったお話でした。
ただ、ここには難しさもあります。伺ったお話には、個人情報にあたることや、当事者の方がいらっしゃるからこそ、そのままでは書けないものもたくさんありました。書けるものと、胸にしまっておくもの。その線引きには、いつも以上に気を遣います。
それでも、語ってくださるときの表情や、ふと声を落とす言葉の端々から、その時代に流れていた熱量のようなものが、確かに伝わってくるのです。文章として一行も残せなかったお話でも、まとめ全体の温度に、知らず知らずのうちに染み込んでいく。そう信じていますし、実際そういうものだと思っています。

裏付けを探しに、図書館へ
語り継がれてきた逸話を、できるだけ確かなかたちで残したくて、国立国会図書館にも足を運びました。当時の新聞や、古い地図を一枚ずつ、目を凝らしながらめくっていきます。
正直に書くと、昔から大切に語り継がれてきたあの逸話については、歴史的な資料のなかから裏付けを見つけることはできませんでした。これは、少し残念でした。長く信じられてきたお話だからこそ、できれば「やっぱり本当だったんですね」とお伝えしたかった。
けれど、調べていくうちに思いがけないこともありました。これまで誰も気づいていなかった、新しい事実に出会えたのです。地図のなかの一本の道、新聞の片隅の小さな記事。そういったものが、お店の歩みに別の角度から光をあててくれました。
そしておもしろいもので、その事実をお伝えすると、「そういえば、そんな話も聞いたことがあったかもしれない」と、皆さんのなかでまた別の記憶が呼び起こされていくんです。一つの発見が、眠っていた記憶のとびらをそっと開けてくれる。すると、また新しいお話が出てきて、それがさらに次の手がかりになる。調べることと、思い出していただくことが、行ったり来たりしながら、少しずつ厚みを増していく。そんな時間が、この仕事のいちばんの醍醐味かもしれません。
残したものが、これからを支える
こうして一年ほどかけてまとめたものは、ホームページの「歴史」のページとして、新しく生まれ変わりました。
写真と文章で、お店がどこから続いてきたのかを、訪れた方がゆっくりたどれるように。自画自賛にならないよう、けれど他人事の冷たさにもならないよう、寄り添いすぎないちょうどいい距離で、第三者の目線で言葉を選んでいきました。
そしていまは、そのページが、毎年の新人研修の一コマとしても使われているそうです。これから会社を担っていく若い世代が、自分たちの立っている場所がどこから続いてきたのかを知る。日々の仕事に追われていると、つい忘れてしまいがちなことを、年に一度立ち止まって思い出す。その入り口のひとつになっているようで、お手伝いした身としては、なんだかとてもうれしく思っています。
歴史をまとめるというのは、過去をふり返るためだけの作業ではないのだな、と改めて感じた一年でした。残したものは、これから先へ進んでいく人たちの足元を、静かに支えてくれる。そんな手応えを、いただいた仕事です。


