いろんな人、様々な働き方

色々な人、働き方と生き方、見る人によってそれぞれ

人に言われて動きたい人
人に言われても動かない人
ゴールを示されてからじゃないと走れない人
ゴールが分かっても道順が分からないと走れない人
ゴールなんかなくても、ホイッスルで走れる人
ゴールがあるのに、そこへ向かわない人
地図が無いと文句を言う人
地図があっても見ない人
みんながいないと行けない人
みんなが行くなら、行かない人
2016-07-11 12.41.14
言われたことを8割できれば満足な人
言われなくても100%でやる人
100%でやるけど結果の出ない人
器用で何でもこなす人
不器用で何事もてこずる人

前職から今まで多くの若いスタッフを見てきて思うこと、仕事に向きあうスタイルは人それぞれで、自然とそうなる人もいればあえてそうする人もいる。何が正しいではない。そう見えるだけであって、本人がどう思っているかは別問題だし、間違いとは違うと思っている。

私自身、昔は24時間仕事のためのアンテナを張りっぱなしで駅で看板を見ても、コンビニで新商品を見ても、ビルの植え込みにすら「疑問」「発想」「ヒント」を探し、それが日常で「街を歩いても仕事になるんだからこれほど便利なことはない」と疑わず思いこんでいたし、仕事以外の時間に物事を吸収できない人を蔑み、強要しヒドイ働き方をしていた。自分がやっていること全てとは言わなくとも、半分以上を他人に求めたし理想とした。天然で「24時間働けますか?」「YES!」を当然だと思っていた。

こういう人が多かった時代でもあり、この発想が今でいうブラック企業の根底を作ったと言っても間違いではないだろう、ただ、当時はそれが悪いことだとも思っていなかった。大げさに言えば、体を壊すほど働くことは勲章であり、自慢になるような流れがあったと思う。
今でこそ、思い返せばひどい話もたくさんある。それこそ、上記に書いた様々なスタイルの人がいることはわかっていても認めないか、「兵隊」と割り切り、使い捨て上等。自身もいつか使い捨てられることもわかっていたし、24時間は捨てられないための努力の時間ともいえた。それができない人間が使い捨てられるのは、当然だと考えていた。ブラック思考(笑)

が、とはいえ、その時代があったからこそ、今の私があるのも事実で、死ぬほど働かないやつに成功や幸せは訪れない!と、今でも思っていなくはない。

時代は変わった。私も大人になった。

そして一番は、当事者として部下を見るというより、第三者として上司と部下を見つめられる立場にいるようになった。それにより、見えてくるたくさんのことがある。様々な生活スタイル、思考、条件が生み出す個性。その個性が、活きる形を探したくなる、見たいと思うようになった。

甘いかもしれない、でも甘くていいんじゃないかと思う。甘えたまま、甘やかされたまま生きていけたらどれほど幸せだろう。そんな甘い時間がそれほど長くは続かないかもしれない、けれど、その甘い時間は、厳しい時間と同等にその人の人生に大きく影響を与えるだろう。

いろんな人がいるからさ、それほど気にしなくていいんじゃないかな。

いろんな人がいるからさ、貴方のせいではないんだよ。

いろんな人がいるからさ、貴方もそのままで “大丈夫”

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