43歳にして妹弟が3人いることを知る

事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、人生の中でそこそこの頻度で奇なることが起こると思う。今回私に起きた出来事はそこそこ43年生きてきて、びっくりする出来事だったので恥ずかしげもなく書いてみた。妻でも母でもない私は未だ、感情は娘のままであり、なんというか親心に無縁である。からして、逆に子供心は明快であるともおもっている。離婚を考えている、又はシングルな親たちには多少役立つかもしれない?(笑)し、普通に人の家庭のゴタゴタって、、、面白いかなって、ただの日記なのです。

お題 43歳にして兄弟が3人いることを知る

かなりファンキーな出来事。タイトルにすると、キャッチーであると我ながら思う(笑)ざっくり簡単に言ってしまえば、0歳の時に離婚した父が再婚し、子供が3人いたと言うだけのことなわけだが生まれてこの方一度も会ったことのない父が43歳にして目の前に現れ、さらに異母兄弟が3人いると告げられればそりゃ驚くだろう。

我ながらファンキーな人生だなと思う。経緯は話して長くなるので簡単に。 私の母と父は 0歳の時に離婚しているため、私は生まれてこの方43年間父親の顔というものを見たことがない。今まで会いたいと思わなかったわけでもないが、これもまたドラマのような出来事が私の幼少期あり、話と更に長くなるのでまた機会があれば。とにかく43年間会えなかった。

そんな娘へある日突然届くメールがこれだ。

わが母ながら、え???

あまりの突然の出来事に、私は一体何が起きて何がどーなって、いきなり父と母がつながったのか、その説明を受けないまま、どういうことなんだと思いながらとりあえず メールを返す。人というのは、あまりの突然の出来事には感情が追い付かないらしい。
我ながら母へのオーダーは、あまりに現実的過ぎてちょっと引く。
・写メ取ってきて
・兄弟とかいるのか聞いて

そこそこの現情報をメールでくれるも、面倒になったのか、会った後に全部報告するわ。と、後日報告会が開かれることになる。その報告会で色々わかってきた。

 

さて、この43年ぶりに現れた父は、なぜ現れたのか?母は父の母である祖母と年賀状のやり取りはしていたらしい。昭和のおばあちゃんである祖母にとって、父とその前の家庭が連絡を取り合うと言うことを避けたかったのだろう、そのことは父には伏せていたようで、母も特に父と連絡を取りたい環境にはなかったので聞くこともなく自然とそれは年賀状を送るだけの関係性だけになっていた。

数十年がたとうというころ、祖母が高齢となり、面倒を見に祖母のもとを訪れることが多くなった父が、祖母の身の回りの整理をし始め、祖母の荷物の中から母の手紙を発見することとなる。そこには、母が祖母のために送っていた私の成長を写した幼少期の写真の数々、そして懐かしい母からの手紙があったようで、そんな連絡を取り合ってるとも知らない父はそれを発見し祖母を問い詰めたらしい。そして母の居所を知ることとなった父は、突然連絡を取ることは憚られた様だが、祖母の名前を使って郷土の名産品を送る様になった。

 

それがなぜ手紙でも電話でもなく物を送ったのか、その時の心境は私にはよくわからない けれど、後ろめたい何かがそうさせたのかもしれないし、 拒絶されてしまうかもしれないと言う想いがあったのかもしれない。 そんな荷物が送られる日々が数年続く。

母からしてみると 突然荷物が送られ始め、違和感もあったそうだが、疑問にも思わず送られてくる一方では申し訳ないとお中元のやり取りのように、旅行やどこか出かけるために、そこのお土産名産品などをお返しのように送ることになり、双方のやり取りが続くのである。

 

とここまで、なんというか、違和感たっぷりな「娘心」
だいたい、荷物が突然送られ始めるっておかしいと思わないのがおかしい!わが母ながら、何だかこの贈り物が父からではないかと薄々気が付いていたのではないかと疑っている。

そうするうちに、ある日その荷物が送った先から戻ってきてしまったことがあり、だれか亡くなってしまったのではないか?引っ越し?と思った母は、それは連絡をしなければと荷物に書いてあった送り状の電話番号にかけてみることにした。 そしてその電話に出たのが父である。

母からすれば青天の霹靂、とまでは言わないものの想定外だったと言っているが・・・。

よくよく考えれば分かる様なものだと私は思う。
なので母はわかっていたのではないか?と。言うのも、私はこの歳になっても父とちょっと会ってみたい、ちょっと見てみたいと言う気持ちはあり、ただ、 探してみてその相手が、とてつもなく困った人だった場合、探さなければよかったと言う現実に、勝手に打ちのめされるのは到底ごめんだと思って、探し出すことはしてこなかった。 そんな気持ちの動きなど、私は母に話したこともあったから、もしかすると、もしこれで父と連絡が取れれば娘の私が少し喜ぶかもしれないと、思っていたかもしれない。と勝手に母を正当化してみた。この辺、私は可愛い娘だと思うw

 

そんなこんなで、母と父は連絡が取れるようになり、電話で長話をしたり近況報告をするのもなんなので、会おうと言うことになったらしく、ある日、私に突然あの!メールが届くのである。

メールやり取りも終わり、ちょっと上がったであろう血圧も下がり始めるころ、ようやく自分を取り戻し、感情がついてきて、、、ふと思う。

「なぜその会う約束に、私を入れないのか?」

普通、40数年ぶりに会うとなれば、家族みんなで会うものではありませんか?

というか、みんなで会おうよ!ってならないか?普通??と、微妙な感情がわいた。仲間外れにされたような、複雑な気持ちだったことは間違いない。聞いてみればいいじゃないか?母と娘というのもデリケートな関係なのです。ただ、母はともかく、父からはもう少し欲せられてもいいのではないか、と思わなくもなかった。

と、思ってみたりもしたが、43年間育ててなければ血がつながっていても、それほどに興味がないのかもしれない、父性なんてそんなものだと、男友達にもなだめられた。それに万が一、良くない話の場合、私は巻き込まれたくないし、私を巻き込みたくないと母も思っただろう。と、勝手に納得した。




そしてそんな感情が揺れる中で、母のメールで、私に異母兄弟が3人いることを知る。

あなた、兄弟3人いるらしいわよ!

なんてこったい!かなりの衝撃サプライズだ! 想像したことが無かったわけじゃないが、なんとも・・・その時の気持ちが喜びかどうかといえば???複雑。てかヤバイ、ネタ!(笑)投下されたーー

 

兄弟への感情は、その後、父と会いお子さんのことを聞いたりして、多少変わっていくのと、情報源として父がこれを目にする機会があるかと思うと、変な誤解も招きたくないので心の中にしまっておく。

人生の大きなネタの投下であることは間違いなく、line で友人に”やばい43歳にして兄弟発覚” というネタを投下し、しばし盛り上がる。イケメンかなぁ?いくつなの?向こうはこっちを知ってるの?散々盛り上がり、、

当然「いつ会うのか?」という話になり、私の覚悟も求められ。ただ純粋に「やっばい!兄弟いるとかウケるんだけどー!」と喜んで騒いでいるだけにもいかず、父に会うか、会わないかを考え始めるようになる。

 

会えないから会いたいのであって、会えるとなると別に合わなくてもいいとも思える。興味はあるけれど、違和感。母にとっては元夫であり、思い出話もあるだろう。私には一切の記憶がない。しかも離婚理由があまりよくないので、良い印象もない。そんな父に、今更あってどうするんだ?と、疑問がわく。思春期に父を欲した私がいたことは認めるが、今となっては感傷的な思い出でしかない。

 

「会いたい」なら会えばいい、とみんな言うが、そう単純ではなかった。「会いたい」のかと問われれば「別にどっちでもいい」。気取ってるわけでも、素直じゃないわけでもなく、不思議と、会えなければそれが日常だったのだから何の問題もないのだ。人の心はいつも厄介なのです。

 

本当に素直に言うならば「会いたいと欲せられれば会ってもいい。」だった。相手がそう思ってもいないところに、のこのこと出て行って「会いたかったの」とは絶対に言いたくなかった。生意気な子供心かもしれない、けれど、譲れない塊のような感情だったように思う。43にもなって、何言ってるんだ。と我ながら思うが、親と子の複雑な部分というのは往々にしてそんなものだと思う。その後、会うことになるので、この辺の厄介な感情は、ある一時期の薄黒い感情でしかないのだが。

 

さて、このあと、43年ぶり? というか、もう生まれて初めて父親に会うことになるわけですが、それはまた・・・。

あとがき
なんかこれ読むと、すっごい複雑な家庭環境のように思えてしまうが、ただ片親に育てられた単純なよくある家庭です。ただ、43歳にして父が現れた!ウケるwが共感したかっただけなのです。

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