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私には、世の中でもてはやされ、行列を作っていたり、予約困難店の料理でも時に???と思うものがいくつかある。みんながおいしぃ~って言っているので一応「ふんふん」とは頷くが、心の中でこれ旨いのか…そんなに?とか思っているメニューがいくつかあって。お前がバカ舌じゃ!って言われれば、そうかなって思うので、それならそれでもいいんだけど。みんなはないのかな?
その代表格に「つけ麺」(今日も結局連れられて、食べてみたけど)
我が家のそばには今も行列を作る有名店もあり、何度か食べにも行った。が、わからない。まずくはないけど、あんなに行列を作るほどの食べ物なのが意外すぎて、私の舌はやっぱり変なのか。
しょっぱくないっすか!
というのが素直な印象。そりゃそうですよね、つゆ濃いんだし、麵にしっかりまとわりつくし。口に入れた瞬間に「こゆ!」って思う。つゆつけすっぎなのかな?と日本蕎麦のように半分だけつけてみたりするけど、それほど麵に味わいがあるわけでもないしね…めっちゃ微妙。麵が太めで口の中でちょうどよくなる?いやいや、なってないし、そんなに唾液でないし、しょっぱいよ。これは場所によるのかもしれないけれど、魚粉過ぎて、あの魚粉の酸味?と言っていいのか酸味がこれまた不思議。
ぬるくないっすか!
あつもりとやらもやってみたけど、結局かなりぬるくなりますよね。ぬるいラーメン微妙。
普通のラーメンの方が美味しいと思う。ただそれだけのことなんだけど。別にディスってるわけではない。
「おいしい」って難しいですよね。ってこと。
10人いるとしよう。
①8人が普通に美味しいと思うもの
②5人がめっちゃうまいと思うけど残り5人はあんまり好きじゃないもの
③2人が奇跡の味だというけど2人が不味いというもの
極端だけど、こういう事ってある。
でもって、③なんかは、奇跡だと思った人に発信力があったりすると、残りの6人までもそう思ってしまう気がする。だって、自分の舌に自信のある人って、世の中にどれだけいるの?みたいなね。結局好みでしょ…と。
そう、だから「おいしい」=「自分の好み」という表現でしかないと思うのね。そしてその「自分好み」が大衆的であればあるほど、常識的であればるほど、人と似ているほどに「あの人の勧めはおいしい」という人が多くなって行くわけだね。【舌が究極に普通】であるほどに需要があるということになる。
ちょっと笑える。
私には食べロガーで何人か決め打ちで信用している人がいて、私は「舌が似ている」と表現するのだが、味の好みが似ているっぽく高得点と低得点のつけ方が絶妙にマッチする。こういう人を見つけられると、食べログもこれまた違う楽しいがある。似ている舌リスト的にもっと検索良くしてほしいなぁ・・・とかわがままも思ったりする。同じ店に行った人じゃない、同じような店で同じような評価をしている人ね。
ちなみに、仕事でもよく「おいしい」は迷子になる。
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結婚式のお料理は「8人が普通においしいと思って、2人位が好みで分かれるくらい」が良いと思っている。もちろん10人が超美味しい!ってなればそれに越したことはないんだけれど、そんな店、結婚式じゃなくたってないものw
まず、結婚式は普通のレストランと違って、年齢層に幅が大きい。当たり前におばあちゃんとその孫世代が同じものを食べるのだから。それに、60~80人に同じタイミングで料理を出さなくてはいけない。これは本当に大変なことなのだ。しかも、遅れるわけにいかない、ずれたらみっともない。披露宴の演出によっては暗くなる前に出さなきゃ!とか、演出とセットで料理の進行も考えねばならない。料理以外にも大切にする要素が多いのが結婚式なのだ。
それでも、美味しいものがいい!のは当然のこと。だから迷子になる。
楽しい仲間と楽しく食べられたら、それだけで、ずいぶんと美味しい!シュチュエーションがスペシャルなのが結婚式。二人っきりで緊張しながら試食をした料理と、同級生と、親族とテーブルを囲んで満面の笑みの幸せそうな二人を見てする食事は、全く違うものになる。同じ料理でも、、、ね。ある意味、細かい細かい部分は見つけにくいし、感じにくい。じぃーっくり食事をするシュチュエーションではないのだ。楽しくおしゃべりしながら、二人を見ながら、演出を楽しみながら味わう食事は、そうあるべきものであるべき。
一人でも多くの人が「普通においしい」でいい。温かいものが温かければいい。
テーブルで一人だけ料理が来てないとかの方が、ずっと悲しい。
最近は、インスタに載せたりSNSでコメントのッたりしちゃうので、盛り付けも味付けも若い人向けにしているところが多い気がします。そういう事も大切になってきた。
大切にしなきゃいけないものを見極めなきゃいけない。
「おいしい」は時に暴力的。所詮好みでしかないと、みんなが心のどこかで感じているならそれでいい。みんなはどうなんだろう・・・ね。