男の「あわよくば」

若い女というだけで、なぜ男性の「あわよくば」な性欲にさらされねばならないのか。危険に向き合わなくてはならないのか。傷つく女子がまだまだ多い、こんなご時世なのに。
そして春、社会に出た若い子らが年配者のあわよくばに中てられないことを祈る。

理不尽

触るとか、口説くとかじゃない。もうね、心の中で「あわよくば」と思っただけでダメなんだよ!だってそれ、こっちにわかっちゃうんだから!

仕事関係ならその先のことを考えて言葉が詰まる、友人の繋がりがあればこれからの関係が悩ましい、万が一怒らせたら暴力的にはならないのだろうか、思い込みだけなのかもしれない、、、失礼かも。
ただ断るとしても、なぜそれほどまでに悩まねばならないのか、困らなければいけないのか、怖い思いをせねばならないのか。

その「あわよくば」ほんと失礼。

というか「あわよくば」と優しく称してますが「無責任な性欲」に他ならない。
彼女にするつもりも奥様にするつもりもない相手に対する単なるその場の「性欲」
立場の弱いものへの制する欲求に近い「性欲」
若い女への単なる幼稚な本能の「性欲」

それを態度に出して、触ったりしてないからいいじゃないか?!たちが悪い。確信犯ですよね、もう会話の端々に出てます、距離近いんです、何ならさっきトイレに行くついでに肩もみましたよね。

人の機微に聡い子ほど「あわよくば」に中てられてしまう。そして、いつの世も女の敵は女の中にいて、鈍い子には「自意識過剰」的な扱いを受け、さらに痛むこともしばしば。
長い間この「あわよくば」ハラスメントにさらされうんざりしている女子は多いだろう、うんざりするだけなら強い子だ。集まりにその人がいると思うだけで足がすくむ子もいるだろう。がしかし、仕事や付き合いでどうしても足を運ばなければならない、そういう繰り返しが自分を鈍感にしていく。


自分が鈍感になるごとに、汚れていく気がする。


なにも悪いことなどしていないのに、汚れていく自分を許せなくなる。誘いを断らなかった自分、自意識過剰なのかもしれないと諦めた自分。そして繰り返すたび、相手も図にのり、触れてくる。肩を抱く手を振り払っても笑顔で入れるようになり、嫌な感情を引き受けながら笑顔で見送れる自分、そういう自分を嫌悪しながら受け入れていく、生きるのは楽になる、鈍感になる。
哀れな生き物になり下がったつもりはないが、滑稽かもしれない。


我が子が、何も悪くないのに鈍感にならざるを得なくなるなんて悍ましいと思わないか。

昨今の風潮では、まだまだ昭和な感性のまま「あわよくば」とか思っていると、逆に痛い目に合うけどね。

鈍感になり切ったおばさんから言わせれば「あわよくば」は基本実らない。
そんな気配を感じたとたん、女は嫌悪する。
昭和のおじさんたち、夢にも若い女と「あわよくば」などと思わないことだ。

あわよくではなく、きちんと人として向き合うことから始めてほしい。
付き合うのか、結婚したいのか、その本気でしっかりと人として向き合ってからことを進めるのは至極当たり前のこと過ぎるのだが、これができない人の多さよ。

まぁ、若い子らも安心して。
年も重ねれば「あわよくば」など養分の一つでしかない。
酒の勢いとはいえ、引きずり出された「あわよくば」な視線を全てコラーゲンに変えて見せる怪物に成り上がっている。
おばさんとはそういう生き物なのだ、だからおばさんなのだ。
「まだまだ捨てたもんじゃない養分」は貴重な成分だから、昭和のおじさんは、昭和のおばさんの養分になり下がるが平和というものだ。

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